Swingyの音楽日記

ジャズピアノの演奏・レッスンと、それに関わる身体動作について研究・練習していることなど

1mmの自由、 1秒の自由

以前、バランストレーナー小関勲さんの講座でのこと。

腕をギュッとつかまれていても、1mmなら自由に動かすことができる。
つかまれていることでなく、1mmではあっても、自由に動く方を常に
感じながら動かす。
すると、結果的にどこまでも自由に動く。
さらには、腕を掴んでいる相手を自在に振り回すこともできるとのこと。

それは今、まるでできないのだけれど、
一つ気がついたこと。

今、とても忙しくて、予定がぎっしりつまっていても、
ほんの1秒だけなら、自由に何でもできるのではないだろうか?
たとえ、あの仕事や、この世話や、あれやこれやあったとしても、
今から一秒だけだったら、自由になることができるんじゃないだろうか。

今、あの仕事をやってもいいし、やらなくてもいい。
その選択は僕にある。
ととらえるのが、いいのかどうかわからないけれど、
ま、とにかく共通するものを感じたのです。

目の前の一秒、一秒の自由を感じ続けることで、
結果的に人生が最後まで、自由に感じられるのではないかと。

きっと、「今、ここ、自分」とも共通するのでしょう。

こんなたとえなら分かりやすいかな?
80年ある寿命を80年で終わってしまうとなげいたり、
なんとかして延ばそうと頑張るよりも、
80年を好きなように生きる方が自由を感じられる。

僕も色々健康法とかやったり、あれこれ工夫をしているから、
あまり人様に言えることではないけれど。

寿命自体は、そうそう変わらないと思っているので、その中で
元気に過ごせるように、さらには、やりたいことをやる中で、
どんどん元気になれるようにと考えています。

もう一つ思い出したのは、僕のブログでもよくお名前を
出させて頂いている甲野善紀先生の

「運命は完璧に決まっていて、同時に自由である」

という言葉。これももしかしたら、共通するものがあるのかも。

丁度、twetterでも、この言葉を取り上げられていたのですが、
著書『スプリット』で詳しく書いたのでここでは書かない」
と書かれていたので、読みかけの『スプリット』を続きから
読み始めたら、まさにその話(笑)

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(『無門関』の『百丈野狐』にある、)
『不落不昧 両采一賽 不昧不落 千錯万錯』

大意は、因果に落ちないというのも、因果をくらまし消すことが
できないというのも、ちょうど、丁半の賽の目が同時にでたような
もので、どちらかに限定すると大間違いだということでしょう。
(中略)
それで、「ああそうか、運命は決まっているのか、いないのか、
とどちらかに限定してみること自体が間違いなのだ」と
気づいたのです。

『スプリット』 カルメン・マキ 名越康文 甲野善紀
より引用
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1mmの自由、
1秒の自由、
いかがでしょうか?

1秒では分かりにくければ、はじめは、
今日一日だけは、あれこれ忘れて自由に過ごす。
今から一時間だけは、、、
今から一分間、自由を存分に感じて過ごす。
というように長い時間からはじめると分かりやすいかもしれません。


小関勲さんの『小関アスリートバランス研究所』
http://www.kablabo.com/

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  1. 2015/03/12(木) 12:37:24|
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